概要
iCTGは手軽に持ち運べる超小型のモバイル胎児モニターのことで、妊婦さん自身が自宅等で胎児の心拍数とお腹の張りのデータを計測します。そのデータはインターネットを介してクラウド上に保存され、産科専門医がそのデータを遠隔で診断することによりオンラインで妊婦の診療を行える画期的なシステムです。
iCTGは胎児心拍と子宮収縮検出の二つのトランスデューサを合わせても約300gと非常に軽く、従来の胎児モニターに比べてほぼ1/50程度まで軽量化されています。
もともと日本でのiCTGの開発は、遠隔の妊婦やハイリスクの妊婦を対象としていましたが、ブータンやミクロネシア連邦など途上国では、産科専門医が少ないこともあり、iCTGの使い方がさらに進歩して、地域全体の妊婦を一括して管理する方法が実現しつつあります。
iCTGの誕生秘話
従来型の胎児モニターは、初期の開発から既に50年近く経過していましたが、いわゆるセントラルモニターとして、複数の妊婦の胎児心拍の情報を院内のナースステーションで連続監視できるようになった程度で、基本的な性能はほとんど変わっておらず、モバイル化に関しても院内での利用にとどまっていました。
その後、タブレットやスマホの普及により、胎児モニターに関しても、モバイル化と小型化が望まれる時代となりましたが、全く新しいコンセプトに基づく医療機器の開発は大変リスクが高いため、既存の企業では取り組みにくい現実がありました。
そこで香川大学と産学連携の形で、新たにベンチャー企業「メロディ・インターナショナル社」を設立し、iCTGの開発に取り組みました。関係各方面から、大学発ベンチャー企業が全く新たな医療機器を開発し、しかも国から医療機器の認証を受けることは到底不可能で、無謀な取り組みといわれていた中での起業でした。
実際に取り組んだことは、かなり大きな胎児モニターを、手のひらサイズにすることでした。技術的に最も困難だったことは、アナログとデジタルの電子回路をすべて小型一体化し、トランスデューサのケース内に収めることでした。
特に、胎児心拍数を検出するセンサー(ピンク色のケース)を作るのに大変な苦労がありました。超音波の振動子とスピーカーからの音の振動が相互に干渉し、ノイズが発生してしまいます。スピーカーを外付けにしてはという意見もありましたが、扱いやすい一体型の装置にすることに最後までこだわりました。
タイやブータン等、海外での素晴らしい実績に基づき、iCTGがWHOにより2022年と2024の2回にわたり革新的な医療技術として推奨機器に認められましたが、これにより国際機関の支援を受けやすくなり、さらなる海外展開にはずみがつきます。
これまで日本メーカーの医療機器がWHOの推奨医療機器に認められたのは4製品のみとのことで、香川大学発ベンチャー企業の製品が選ばれたことはまさに「快挙」と言えると思われます。
iCTG装着シーン
胎児心拍パターン
遠隔で送られてきた胎児心拍パターンです。
妊娠35週1日、上段が胎児心拍数、下段が子宮収縮、胎児心拍が非常に安定して検出されています。
開発のコンセプト
超小型モバイルCTG(iCTG)の開発にあたっては、従来の技術・考え方にとらわれず、最新の技術を盛り込み、全く新しいコンセプトに基づき設計しました。
1)モバイルかつクラウド型とし国内外どこからでも胎児心拍数を送れるようにする。
2)胎児心拍数、子宮収縮はデータセンターのクラウドサーバ上に記録する。
3)記録用紙はなくし完全なペーパーレスを実現する。
4)
胎児モニターの基本部分の電子回路は小型化し、超音波トランスデューサ、陣痛トランスデューサの ケースの中に入れる。
5)
胎児心拍数、子宮収縮の表示とインターネットへの接続は市販のタブレットを 利用する。
6) 超音波トランスデューサ、陣痛トランスデューサとタブレットの間はブ ルートゥースで 接続する。
7)電源としてリチウムイオン電池を利用し、コードレスでの使用とする。
これにより、電力供給の不安定な発展途上国でも利用しやすくなる。
iCTGを日本で普及させるためにはどのような課題があると思われますか?
本来iCTGの開発の目的は、遠隔地の妊婦やハイリスク妊婦を対象としたものでした。ただし、日本中の産科医療機関には、すでに従来の病院設置型の胎児モニターが十分に普及しているので、両者の使い方の住み分けが必要と考えていました。
たとえて言えば、すべての家庭に固定電話が設置されている状況に、いかにして携帯電話を普及させるかと似ています。
そのため、まずは新規開業する若い産婦人科医や電子カルテやオンライン診療など、IT化に前向きな産婦人科医を中心に宣伝しています。実際に導入した医療機関では、妊婦はもちろんですが、医師が自宅、外出先からでも、リアルタイムで妊娠の状況を把握できると大変満足していただいています。
大学病院や規模の大きい中核病院では、妊娠高血圧症候群など、継続的な監視が必要なリスクの高い妊婦を入院させることなく、在宅で監視ができることを強調しています。特に、不妊治療などでようやく妊娠した妊婦では、多胎や早産などになりやすいため、厳密な妊娠管理が必要となり、iCTGによる遠隔で継続した管理が必須と考えています。
ただ、従来の妊娠分娩管理は、個々の医療機関が単独で効率よく機能するために最適化された管理法であるため、iCTGの革新性が理解されにくい点があります。
特に行政への働きかけが重要ですが、今後はiCTGのネットワークを用いることにより、地域の医療機関が相互にネットワーク化され、地域全体の妊婦を一括管理する時代が来ることを理解していただくことが大変重要と感じています。
<ポイント>
1)
機能的には、従来型の胎児モニターと同等以上の機能をもっていること。
2) 紙の記録用紙を必要としないため、電子カルテとの相性がよいこと。
3)
日本産婦人科医会が制定した標準フォーマットを使用しているため、胎児心拍数の永久的な保存に適していること。
4) 記録用紙の保存のスペースと整理のための手間を省けること。
5) 自動診断に適していること。
6)
データの記録・保存はクラウドサーバ(Microsoft Azure)を利用しているため、セキュリティー上も安心である。
7)
新たに開業する場合には、iCTGとそのデータを表示する専用のセントラルモニターを設置するだで、院内、院外を問わず複数のiCTGをシームレスに表示できる。
8)
たとえば地域の中核病院のシステムとも簡単に連携できる。
9)
将来的に、地域全体のiCTGを連携して、地域の妊婦を一括して管理できるシステムを容易に構築できる。
胎児モニターの心拍数検出の技術を用いて心房細動診断ができると確認された事に関して、今後の可能性は?
高齢化社会の進行と共に心房細動は増加傾向にあり、すでに日本国内の患者数は 100 万人以上と推測されています。心房細動では、心房内にできた血栓が突発的にはがれて脳内の大きな血管や複数の血管が一気につまることにより、約半数が死亡、あるいは寝たきりになり大変予後が悪いため、心電図以外のより簡便な方法で、効率よくしかも確実に心房細動を検出する方法の開発が待たれていました。
我々は、心房細動では、心拍一拍ごとの間隔が完全に不規則になることが、胎児心拍数の分析に似ていることに着目して、iCTGの心拍検出部分のデジタル回路を利用することにより、光学的、経皮的に計測した血圧脈波、指尖容積脈波、酸素飽和度計からの脈波を用いて、効率よく心房細動を診断できるアルゴリズム(感度100%)を開発しています。また条件がよければ顔の動画から得られた脈波でも心房細動を検出できることを確認できています。
今後、医療機関や調剤薬局、あるいは自宅で酸素飽和度を測定する際に遠隔でスクリーニングをすることにより、自覚症状のない心房細動の発見が容易になり、ひいては心房細動が原因の脳梗塞の予防に役立つと考えています。
かがわ遠隔医療ネットワークK-MIXについて
現在、K-MIX R(かがわ医療情報ネットワーク)は、全国を代表する地域医療ネットワークとなっていますが、ここまで来るには、様々な偶然と幸運が重なって奇跡的に実現できたものと今からでも感慨深いものがあります。
そもそものきっかけは、2001年に経済産業省により電子カルテネットワークのプロジェクト「先進的IT活用による医療を中心としたネットワーク化推進事業」(総額58億円)が、全国26地域において取り組まれ、香川県においては、「四国4県電子カルテネットワーク連携プロジェクト」として、愛媛県、高知県、徳島県とともに取り組んだことから始まりました。その成果が香川県医師会により大変高く評価され、香川県は独自に予算を計上し、まさに奇跡ともいえる形で実現したのがK-MIXです。
当初は遠隔画像診断支援が主な機能でしたが、K-MIXは節目ごとにK-MIX+、K-MIX Rとして機能が向上し、現在では中核病院のCT、MRI等の画像情報はもちろん、電子カルテに記載された医師の記載内容、検査結果、処方情報などをリアルタイムで参照することができます。
K-MIXがスタートした際には、参加医療機関が35施設でしたが、その後参加医療機関は徐々にふえて、現在では調剤薬局も含め358施設と10倍以上までになっており、将来県内全医療機関の参加が期待されています。
現在国は遠隔医療を含む医療のDXを全力で推進している状況ですので、K-MIX Rに対する期待もますます大きくなると思われます。
K-MIXが成功したポイントを教えてください
K-MIXの構想の段階から、香川県、香川県医師会、香川大学の3者が常に一体となって知恵を出し合い、K-MIXの機能向上、医療情報の標準化等に関しては大学に、総務省、経産省、厚労省等、行政面に関しては県に、医師会員への啓蒙活動、運営費の徴収等、実際の運営に関しては県医師会に担当していただいたことがポイントと思います。また県医師会だけでなく薬剤師会等への働きかけも重要でした。
今後日本でのPHR/EHRがどうあるべきと思われますか
現在、国はPHR/EHRを積極的にすすめており、実際いくつかの民間企業により個人個人のデータをスマートフォン等に記録することが試みられています。ただし、K-MIXに代表される地域医療ネットワークが全国に普及すれば、クラウド上の個人個人の情報を取り出して時系列的につなぎ合わすことにより、PHR/EHRが実現し、しかも医療機関の電子カルテと直接連携できますので、PHR/EHRよりも地域医療ネットワークを先に充実させることが本筋と考えています。
また、最近は、在宅で体温や脈拍、血圧、心電図、酸素飽和度を測定し、ネットで管理する在宅健康管理システムが普及しつつありますが、今後は、こういった在宅健康管理システムとK-MIXの直接の連携が大変重要と考えています。
参考資料
原 量宏
崩壊する周産期医療を救うIT-分娩監視装置の開発から遠隔医療,そして日本版EHRの全国展開まで-情報処理Vol.51 N0.8,2010
原 量宏
香川県における遠隔医療の発展の歴史と今後の展望-かがわ遠隔医療ネットワークK-MIXモバイル胎児モニターの事例を中心に-中央大学企業研究第44号特集,2023
原 量宏(はら かずひろ)
香川大学 名誉教授
香川大学医学部 医療情報学 客員研究員
日本遠隔医療学会 名誉会長
NPO法人 e-HCIK 理事長
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